龍馬検定・神戸編 合格
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龍馬検定・神戸編 合格
言わずと知れた坂本龍馬についての検定試験。
数種類あるようだ。
在宅で受験する。
あちらこちらで例の如く調べてはみたものの、異様に難しい。
かなりの時間を要して合格した。
歴史好きとはいえ、マニアではないのでここまでの知識は兼ね備えていなかった。
下の略年表を見てもわかるのだが、当時の方々は若くして偉大な功績を残し亡くなったということがよく分かりますね。
今の時代を観たらどのような感想を持つのでしょうかね?
坂本龍馬略年表
元号 西暦 数年 主な出来事
① 天保6 1835 1 ○11月15日、高知城下本丁筋1丁目に、郷士・坂本八平の次男として生まれる。
② 弘化3 1846 12 ○6月10日、母・幸死去。この年、楠山塾に入門するが、他の塾生とのトラブルにより退塾となる。
③ 嘉永元 1848 14 ○日根野弁治道場に入門、小栗流剣術の修行を始める。
④ 嘉永6 1853 19 ○4月中旬、剣術修行のため江戸の北辰一刀流・千葉定吉道場に入門。
○6月3日、ペリー艦隊が黒船4隻を率いて浦賀沖に来航。龍馬も品川海岸の警備にあたる。
○12月1、兵学者・佐久間象山に入門、西洋砲術を学ぶ。
⑤ 安政元 1854 20 ○3月、「日米和親条約」締結。
○6月23日、帰郷。その後「小栗流和兵法十二箇条・二十五個条」を受ける。
○11月頃、土佐藩の絵師・河田小龍から海外事情を聞く。
⑤ 安政2 1855 21 ○12月4日、父・八平死去。
⑦ 安政3 1856 22 ○8月20日、剣術修行のため、再び江戸へ。
⑧ 安政5 1858 24 ○1月、「北辰一刀流長刀兵法目録」を受ける。
○9月3日、江戸での2度目の剣術修行終え、帰国。
○「安政の大獄」起こる。
⑨ 万延元 1860 26 ○3月、「桜田門外の変」で井伊直弼暗殺される。
⑩ 文久元 1861 27 ○8月、武市瑞山らが「土佐勤王党」を結成。後に龍馬も加盟。
⑪ 文久2 1862 28 ○3月24日、龍馬、沢村惣之丞と共に脱藩。下関に向かう。
○8月、江戸に下り桶町千葉道場に寄宿。
○10月、千葉重太郎と共に、赤坂の勝海舟邸を訪問、弟子となる。
⑫ 文久3 1863 29 ○2月25日、勝海舟の求めで、龍馬らの脱藩罪赦免となる(しかし12月に再び脱藩の身となる)。
○5月16日、海軍塾の資金依頼のため、越前福井藩を訪ねる。
○9月21日、土佐藩、勤王党弾圧を開始。武市瑞山ら投獄される。
○10月、神戸で勝の海軍塾・塾頭になる。
⑬ 元治元 1864 30 ○この頃、勝海舟との関係で各地を奔走、名士と会う。
○8月、京都薩摩藩邸で西郷隆盛と会見。
○11月10日、勝海舟が軍艦奉行を免職となる。龍馬の身柄を薩摩藩に託す。
⑭ 慶応元 1865 31 ○3月18日、神戸海軍操練所が閉鎖となる。
○5月1日、西郷隆盛に伴われ、薩摩に初めて入国。
○この頃、薩摩藩庇護のもと長崎に「亀山社中」を結成。
○閏5月6日、下関で桂小五郎と会談、薩長同盟を説く。
○6月下旬、中岡慎太郎と共に京都薩摩藩邸で西郷と会談。
⑮ 慶応2 1866 32 ○1月21日、「薩長同盟」締結。
○1月24日未明、伏見の寺田屋で幕吏に襲われ、負傷。
○2月5日、桂小五郎の求めで薩長同盟の保証人になる。
○3月5日、薩摩藩船で大坂から鹿児島へ。お龍との新婚旅行となる。
○6月、幕長戦での下関海戦に参戦し、長州軍を応援、高杉晋作と会談。
⑯ 慶応3 1867 33 ○4月上旬、脱藩罪を許されて亀山社中を改編、土佐藩庇護のもと「土佐海援隊」となり、 龍馬は隊長となる。
○4月23日、「いろは丸事件」が起こる。
○6月9日、後藤象二郎と土佐藩船で長崎を出航し、「船中八策」を起草する。
○6月22日、龍馬と中岡の立会いで、薩摩の西郷・大久保らと土佐の後藤・福岡らの間に「薩土盟約」締結。
○9月29日、脱藩以来、最初で最後となる帰郷で実家に帰る。
○10月3日、大政奉還建白書が山内容堂から幕府に提出される。
○10月14日、徳川慶喜、「大政奉還」を願い出て翌日勅許。討幕の密勅、薩長に下る。
○11月上旬、「新政府綱領八策」を起草。
○11月15日、京都・近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲われ、凶刃に斃れる。
言わずと知れた坂本龍馬についての検定試験。
数種類あるようだ。
在宅で受験する。
あちらこちらで例の如く調べてはみたものの、異様に難しい。
かなりの時間を要して合格した。
歴史好きとはいえ、マニアではないのでここまでの知識は兼ね備えていなかった。
下の略年表を見てもわかるのだが、当時の方々は若くして偉大な功績を残し亡くなったということがよく分かりますね。
今の時代を観たらどのような感想を持つのでしょうかね?
坂本龍馬略年表
元号 西暦 数年 主な出来事
① 天保6 1835 1 ○11月15日、高知城下本丁筋1丁目に、郷士・坂本八平の次男として生まれる。
② 弘化3 1846 12 ○6月10日、母・幸死去。この年、楠山塾に入門するが、他の塾生とのトラブルにより退塾となる。
③ 嘉永元 1848 14 ○日根野弁治道場に入門、小栗流剣術の修行を始める。
④ 嘉永6 1853 19 ○4月中旬、剣術修行のため江戸の北辰一刀流・千葉定吉道場に入門。
○6月3日、ペリー艦隊が黒船4隻を率いて浦賀沖に来航。龍馬も品川海岸の警備にあたる。
○12月1、兵学者・佐久間象山に入門、西洋砲術を学ぶ。
⑤ 安政元 1854 20 ○3月、「日米和親条約」締結。
○6月23日、帰郷。その後「小栗流和兵法十二箇条・二十五個条」を受ける。
○11月頃、土佐藩の絵師・河田小龍から海外事情を聞く。
⑤ 安政2 1855 21 ○12月4日、父・八平死去。
⑦ 安政3 1856 22 ○8月20日、剣術修行のため、再び江戸へ。
⑧ 安政5 1858 24 ○1月、「北辰一刀流長刀兵法目録」を受ける。
○9月3日、江戸での2度目の剣術修行終え、帰国。
○「安政の大獄」起こる。
⑨ 万延元 1860 26 ○3月、「桜田門外の変」で井伊直弼暗殺される。
⑩ 文久元 1861 27 ○8月、武市瑞山らが「土佐勤王党」を結成。後に龍馬も加盟。
⑪ 文久2 1862 28 ○3月24日、龍馬、沢村惣之丞と共に脱藩。下関に向かう。
○8月、江戸に下り桶町千葉道場に寄宿。
○10月、千葉重太郎と共に、赤坂の勝海舟邸を訪問、弟子となる。
⑫ 文久3 1863 29 ○2月25日、勝海舟の求めで、龍馬らの脱藩罪赦免となる(しかし12月に再び脱藩の身となる)。
○5月16日、海軍塾の資金依頼のため、越前福井藩を訪ねる。
○9月21日、土佐藩、勤王党弾圧を開始。武市瑞山ら投獄される。
○10月、神戸で勝の海軍塾・塾頭になる。
⑬ 元治元 1864 30 ○この頃、勝海舟との関係で各地を奔走、名士と会う。
○8月、京都薩摩藩邸で西郷隆盛と会見。
○11月10日、勝海舟が軍艦奉行を免職となる。龍馬の身柄を薩摩藩に託す。
⑭ 慶応元 1865 31 ○3月18日、神戸海軍操練所が閉鎖となる。
○5月1日、西郷隆盛に伴われ、薩摩に初めて入国。
○この頃、薩摩藩庇護のもと長崎に「亀山社中」を結成。
○閏5月6日、下関で桂小五郎と会談、薩長同盟を説く。
○6月下旬、中岡慎太郎と共に京都薩摩藩邸で西郷と会談。
⑮ 慶応2 1866 32 ○1月21日、「薩長同盟」締結。
○1月24日未明、伏見の寺田屋で幕吏に襲われ、負傷。
○2月5日、桂小五郎の求めで薩長同盟の保証人になる。
○3月5日、薩摩藩船で大坂から鹿児島へ。お龍との新婚旅行となる。
○6月、幕長戦での下関海戦に参戦し、長州軍を応援、高杉晋作と会談。
⑯ 慶応3 1867 33 ○4月上旬、脱藩罪を許されて亀山社中を改編、土佐藩庇護のもと「土佐海援隊」となり、 龍馬は隊長となる。
○4月23日、「いろは丸事件」が起こる。
○6月9日、後藤象二郎と土佐藩船で長崎を出航し、「船中八策」を起草する。
○6月22日、龍馬と中岡の立会いで、薩摩の西郷・大久保らと土佐の後藤・福岡らの間に「薩土盟約」締結。
○9月29日、脱藩以来、最初で最後となる帰郷で実家に帰る。
○10月3日、大政奉還建白書が山内容堂から幕府に提出される。
○10月14日、徳川慶喜、「大政奉還」を願い出て翌日勅許。討幕の密勅、薩長に下る。
○11月上旬、「新政府綱領八策」を起草。
○11月15日、京都・近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲われ、凶刃に斃れる。
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