富士山検定 3級 合格
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富士山検定 3級 合格
つい先日世界遺産に登録されることがニュースになりましたね。
その何年も前から検定試験が実施されていたのをご存じだったでしょうか?
私は初期のころに受験しました。
どういう問題が出たかは忘れましたがネットで調べながら解答を作成しました。
3級なので基本問題しか出ませんでしたがかなり勉強になりました。
合格後プラスチックの合格カードを頂きました。
なお、最近話題の富士山の噴火を年表風にまとめると以下のようになるようです。
781年 (天応元年) 噴火
800年〜802年(延暦19年) (旧暦)3月14日から4月18日にかけて噴火。延暦大噴火 「日本紀略」の記述では、
自去三月十四日迄四月十八日、富士山巓自焼、昼則烟気暗瞑、夜則火花照天、其声若雷、灰下如雨、山下川水皆紅色也
802年(延暦21年) 1月8日 この噴火により相模国足柄路が一次閉鎖され、5月19日から翌年の5月8日までの1年間は、筥荷(箱根)路が迂回路として利用された。
駿河国富士山、昼夜恒燎、砂礫如霰者、求之卜筮、占曰、于疫、宜令両国加鎮謝、及読経以攘災殃
五月、甲戌、廃相模国足柄路開筥荷途、以富士焼砕石塞道也
864年(貞観6年) 貞観大噴火 864年6月〜866年初頭にかけて活動青木ヶ原溶岩を形成した噴火で、山頂から北西斜面約10Kmの(現在の長尾山)から大量の溶岩流出とスコリア噴火とを起こす。 『日本三代実録』の記述では、5月25日付の報告として
富士郡正三位浅間大神大山火、其勢甚熾、焼山方一二許里。
光炎高二十許丈、大有声如雷、地震三度。歴十余日、火猶不滅。焦岩崩嶺、沙石如雨、煙雲鬱蒸、人不得近。大山西北、有本栖水海(みずうみ)、所焼岩石、流埋海中、遠三十許里、広三四許里、高二三許丈。火焔遂属甲斐国堺。
(ここでいう1里は6町=約650m。「〜許里」は「〜里ばかり」の意。) 7月17日分の報告として
駿河国富士大山、忽有暴火、焼砕崗巒、草木焦殺。土鑠石流、埋八代郡本栖并剗両水海。水熱如湯、魚鼈皆死。百姓居宅、与海共埋、或有宅無人、其数難記。両海以東、亦有水海、名曰河口海;火焔赴向河口海、本栖、剗等海。未焼埋之前、地大震動、雷電暴雨、雲霧晦冥、山野難弁、然後有此災異焉。
とある。 「剗の海(せのうみ)」は富士北麓にあった広大な湖の名だが、この時の溶岩流により埋め立てられ、水面の大半を失った。埋め立てを免れた西端部、東端部はのちに精進湖、西湖として知られた。流れ出た溶岩は一帯を広く覆い、「青木ヶ原溶岩」を形成した、その後この溶岩の上には新たに森林が形成され、現在では「青木ヶ原樹海」の通り名で知られている。この貞観大噴火は、貞観地震の5年前に起きた。 937年(承平7年) 噴火。 現在の河口湖と富士吉田市の間にあった「御舟湖」を埋め、剣丸尾第1溶岩を噴出させた噴火とされる。
「日本紀略」の記述では承平7年旧暦11月某日の条に、
甲斐国言、駿河国富士山神火埋水海
999年 (長保元年) 噴火
1033年初頭 (長元5年末) 噴火
1083年 (永保3年) 噴火
1435年または1436初頭 (永享7年) 噴火
1511年 (永正8年) 噴火
1704年 (元禄16年末〜17年初頭) 鳴動
1707年 12月16日(宝永4年)旧暦11月23日 宝永大噴火 大量のスコリアと火山灰を噴出。この噴火は日本最大級の地震である宝永地震の49日後に始まり、江戸市中まで大量の火山灰を降下させる等特徴的な噴火であった。
1708年 (宝永5年) 鳴動
1854年 (嘉永7年・安政元年) 安政東海地震発生。直後、富士の山頂に異様な黒雲がかかり、8合目付近に多数の火が上がる様が眺められたという。
1923年 (大正12年) あらたな噴気
1987年 (昭和62年) 山頂のみで有感地震
つい先日世界遺産に登録されることがニュースになりましたね。
その何年も前から検定試験が実施されていたのをご存じだったでしょうか?
私は初期のころに受験しました。
どういう問題が出たかは忘れましたがネットで調べながら解答を作成しました。
3級なので基本問題しか出ませんでしたがかなり勉強になりました。
合格後プラスチックの合格カードを頂きました。
なお、最近話題の富士山の噴火を年表風にまとめると以下のようになるようです。
781年 (天応元年) 噴火
800年〜802年(延暦19年) (旧暦)3月14日から4月18日にかけて噴火。延暦大噴火 「日本紀略」の記述では、
自去三月十四日迄四月十八日、富士山巓自焼、昼則烟気暗瞑、夜則火花照天、其声若雷、灰下如雨、山下川水皆紅色也
802年(延暦21年) 1月8日 この噴火により相模国足柄路が一次閉鎖され、5月19日から翌年の5月8日までの1年間は、筥荷(箱根)路が迂回路として利用された。
駿河国富士山、昼夜恒燎、砂礫如霰者、求之卜筮、占曰、于疫、宜令両国加鎮謝、及読経以攘災殃
五月、甲戌、廃相模国足柄路開筥荷途、以富士焼砕石塞道也
864年(貞観6年) 貞観大噴火 864年6月〜866年初頭にかけて活動青木ヶ原溶岩を形成した噴火で、山頂から北西斜面約10Kmの(現在の長尾山)から大量の溶岩流出とスコリア噴火とを起こす。 『日本三代実録』の記述では、5月25日付の報告として
富士郡正三位浅間大神大山火、其勢甚熾、焼山方一二許里。
光炎高二十許丈、大有声如雷、地震三度。歴十余日、火猶不滅。焦岩崩嶺、沙石如雨、煙雲鬱蒸、人不得近。大山西北、有本栖水海(みずうみ)、所焼岩石、流埋海中、遠三十許里、広三四許里、高二三許丈。火焔遂属甲斐国堺。
(ここでいう1里は6町=約650m。「〜許里」は「〜里ばかり」の意。) 7月17日分の報告として
駿河国富士大山、忽有暴火、焼砕崗巒、草木焦殺。土鑠石流、埋八代郡本栖并剗両水海。水熱如湯、魚鼈皆死。百姓居宅、与海共埋、或有宅無人、其数難記。両海以東、亦有水海、名曰河口海;火焔赴向河口海、本栖、剗等海。未焼埋之前、地大震動、雷電暴雨、雲霧晦冥、山野難弁、然後有此災異焉。
とある。 「剗の海(せのうみ)」は富士北麓にあった広大な湖の名だが、この時の溶岩流により埋め立てられ、水面の大半を失った。埋め立てを免れた西端部、東端部はのちに精進湖、西湖として知られた。流れ出た溶岩は一帯を広く覆い、「青木ヶ原溶岩」を形成した、その後この溶岩の上には新たに森林が形成され、現在では「青木ヶ原樹海」の通り名で知られている。この貞観大噴火は、貞観地震の5年前に起きた。 937年(承平7年) 噴火。 現在の河口湖と富士吉田市の間にあった「御舟湖」を埋め、剣丸尾第1溶岩を噴出させた噴火とされる。
「日本紀略」の記述では承平7年旧暦11月某日の条に、
甲斐国言、駿河国富士山神火埋水海
999年 (長保元年) 噴火
1033年初頭 (長元5年末) 噴火
1083年 (永保3年) 噴火
1435年または1436初頭 (永享7年) 噴火
1511年 (永正8年) 噴火
1704年 (元禄16年末〜17年初頭) 鳴動
1707年 12月16日(宝永4年)旧暦11月23日 宝永大噴火 大量のスコリアと火山灰を噴出。この噴火は日本最大級の地震である宝永地震の49日後に始まり、江戸市中まで大量の火山灰を降下させる等特徴的な噴火であった。
1708年 (宝永5年) 鳴動
1854年 (嘉永7年・安政元年) 安政東海地震発生。直後、富士の山頂に異様な黒雲がかかり、8合目付近に多数の火が上がる様が眺められたという。
1923年 (大正12年) あらたな噴気
1987年 (昭和62年) 山頂のみで有感地震
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